黒羽芭蕉の館前の松尾芭蕉と曽良の像

【松尾芭蕉】が『奥の細道』で一番長く16日間も逗留したのは那須地域です@那須町

『奥の細道』で有名な【松尾芭蕉】と那須地域とは、結構深いつながりがあることを知る人は意外と少ないですね。那須地域では有名な話ですが、首都圏の方たちには「へぇー」という感じがありますね。

江戸後期1689年(元禄2年)3月27日に江戸を出発した【松尾芭蕉】と弟子の河合曾良そらは、日光東照宮を参詣のあと、那須町お隣の大田原市・黒羽になんと14日間、2週間もの長く逗留しました。
これは1地区としては奥の細道で最も長い期間の逗留で、一説では奥の細道の紀行は「黒羽から始まった」と言われるほどです。

〈黒羽芭蕉の館前の像〉
黒羽芭蕉の館前の松尾芭蕉と曽良の像

黒羽にこれほど長い間逗留したのは、もともとは【松尾芭蕉】の弟子の一人である那須郡黒羽の城代家老・浄法寺図書高勝(じょうほうじずしょたかかつ 俳号:桃節とうせつ)とその実弟・岡忠治豊明(俳号:桃翠とうすい)に招かれたものと言われます。連日地元の人たちと俳句の会を楽しんだとか。

那須でワイン造りを目指す那須のワイナリー“那須661ワインヒルズ”から黒羽までは、26kmの距離で30分ほどで訪れることができます。

【松尾芭蕉】と曾良は黒羽に逗留した後は、那須町を訪れ名主・覚左衛門方に二泊し、那須温泉神社や殺生石を訪れています。これを合わせると那須地域に【松尾芭蕉】は16日間もいたことになります。
〈温泉神社の裏にある殺生石〉
那須町の九尾伝説の殺生石

殺生石で詠んだ句は 『石の香や 夏草赤く 露あつし』
【松尾芭蕉】は殺生石のことを「石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬ程にかさなり死す」と、その状況のすごさを書いています。

田舎に移住すると、その土地の色々なことに興味が湧いてきます、歴史上の人物としてしかとらえていなかった【松尾芭蕉】も、地元とのつながりが浮き彫りで捉えられるようになり、まさに歴史の中で生活しているという実感が生まれます。 <Dai>

黒羽芭蕉の館前の松尾芭蕉と曽良の像
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